今回の東日本大震災で被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方々に深くお悔やみを申し上げたい。このような大災害に直面し、被災時の記憶が新しい今こそ、自社の危機管理やリスクマネジメントの在り方を問い直すべきと考える。

 リスクマネジメントには、これまで多くの企業が取り組んできた。記憶に新しいところでは、情報システムの2000年問題や、この10年間ほどで相次いだ企業不祥事、個人情報の大量漏洩、2009年の新型インフルエンザ流行への対応が挙げられる。

 しかし、多くの労力を投じて検討したこれらの対策がカタチばかりとなり、外部から買った方針書やマニュアルがロッカーに眠っている企業も少なくない。

 本稿では、危機管理としてのBCP(Business Continuity Plan=事業継続計画)およびこれを含む広義のリスクマネジメントについて解説する。

 BCPとは地震や水害などの災害や事故などに備え、事業を継続させるために必要な事項を盛り込んだ計画のことを一般に指す。主な目的は、被災時に事業(=業務)の停止を最小限に抑え、企業を取り巻く利害関係者に迷惑をかけないような体制を構築することだ。

 第1回はなぜBCPが必要なのかを解説する。そこでまず、東京であの大地震を経験したビジネスパーソンの行動を振り返る。この行動のどこがよろしくないのか、BCPの視点から考えながら読んでみてほしい。また、BCPのチェックリストも紹介する。

大地震当日、有楽町オフィスにいたタケシさんの例

 タケシさんは食品メーカーの若手営業マンで、受注から配送手配まで一連の業務を担当している。その日は、顧客からの急ぎの大量注文を処理するために有楽町の自社オフィスにいた。そして、その時を迎えた。

 2011年3月11日午後2時46分、床や柱がゆったりと揺れ始め、「地震?」とささやく声が聞こえた。そんな状態が長く続いたように感じたが、実際には数秒だったのだろう。すぐに体全体が激しく揺れ、周囲のあちこちからおびえたような悲鳴が上がった。机の上の書類が崩れ、見慣れた白い塗り壁にはひびが入り始めた。

 揺れが一段落すると、タケシさんはオフィスがある8階から階段を一気に駆け下り、ビルの外に飛び出した。ビルの出入り口には人だかりができていた。皆、口々に地震発生時の様子や震源地の推測など、まとまりのない話をしている。そうすることで不安を紛らわせているようだ。

 この時、この地震が東日本全域を襲った大災害であり、これから始まる大混乱の序章であるとは思いもしなかった。

 午後3時20分、大きな余震が一段落した頃、ビルの館内放送が流れた。ビルの安全性が確認されたことと、ビル内に待機するようにとのアナウンスだった。しかしタケシさんの目に映ったのは、多くの人々が避難のため日比谷公園に向かっていく光景だった。自身も追いたてられるように移動した。

 午後5時30分、日が陰りだし寒風が吹き始めたのでタケシさんは日比谷公園からオフィスに戻った。照明がついており停電ではないようだ。床には書類が散乱したままになっている。

 地震の被害状況を確認しようと共用となっているデスクトップPCからネット接続を試みたがつながらない。昨年、関東・東海地方の地震災害に備えて社内サーバーを全て東北に移したのだが、それが災いしたのだろうか。一瞬、顧客からの急ぎの大量注文が未処理であることが頭をよぎる。だがネットは使えないし、社内も顧客も地震で混乱しているに違いない。週明けに処理することにした。

 午後6時00分、終業時刻となったが、窓から見えるJR有楽町駅の明かりは消え電車は動いていない。上司は午後から外出したままで、連絡がつかなかった。とうとう同僚の何人かが、自宅まで歩く覚悟で帰り始めた。だがタケシさんの自宅は20km以上離れた国分寺にある。このため帰宅を諦めて会社に泊まり込むことにした。

 午後7時30分、空腹を覚えて近所のコンビニに行ったが、長蛇の列で棚はほとんど空っぽだった。諦めてオフィスに戻った。オフィスのどこかに非常食や毛布などが用意されていると聞いたことがあるが、備蓄場所も責任者も分からない。

 タケシさんは、何もすることなく空腹のまま自席で一晩を明かした。翌朝、動き始めたJRに乗って2時間かけてようやく自宅に戻ることができた。

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