優れた構想も論理的な思考も,一人の技術者が身につけた知識だけに基づくよりも,長い時間をかけて組織内に蓄積された知識を活用した方が高いレベルからスタートできる。ただし,2007年問題に象徴されるように,ゆっくりと知識を人から人へと伝承している時間はない。リーマンショック以後,固定費削減を錦の御旗に人員削減に手を付けた企業では,現場からベテラン社員などが次から次へとその知識とともに去っている。しかも,そうした知識を単に電子データ化して共有する仕組みを構築するだけで解決するほど,知識活用は簡単なものではない。

 組織として知識をどう集積し,技術者一人ひとりにいかに伝え,開発プロセスの中にどう取り込んでいくか─。この「知識力」は,設計力を高めるための基礎となる。これによって,過去に経験した失敗を繰り返さないといった再発防止だけでなく,もっと広い範囲での不具合やトラブルの未然防止,さらには品質向上やコスト削減の事前検討なども可能になる。

業績回復の陰で混乱

 「市場環境の変化が,我々の予想を上回っていた。まさか海外で設計することになるとは思ってもいなかった」。こう語るのはダイキン工業滋賀製作所空調生産本部商品開発グループの門脇一彦氏。同社の空調機部門は約10年前,驚異的な業績回復を達成したが,その裏では開発部門の混乱が進行していた。急激な開発機種の拡大,開発サイクルの短期化,設計・生産拠点のグローバル化といった取り組みが,開発部門への負担として大きくのしかかっていたのだ。

 このような状況の中,同事業所は2003年以降,業務改革に取り組む(図1)。第1ステップでは,品質向上の実現を第一に,シックスシグマの考えを取り入れて開発プロセス全体の見直しと標準化を実施した。第2ステップでは,会議やデザインレビュー(DR)のルールを調整するなど,第1ステップで決めたプロセスを具体的に回す仕組みを整備した。

図1●ダイキン工業滋賀製作所における業務改革
2003年以降,まずは品質改善に向けた標準化やプロセス改革に取り組み,第2ステップではそのプロセスを確実に実行できる体制を整えることでコスト削減や期間短縮のレベルを向上。現在の第3ステップでは,課題の事前予測と未然防止を実現するための情報/知識の活用に取り組んでいる。
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 そして第3ステップとして2008年から取り組んだのが,知識の活用である。設計の初期段階で既存の知識を活用し,完成度を上げて手戻りを減らそうという狙いだ。「業務改革を進めてきたが,実際には手戻りがなかなか減っていなかった。それまでは発生した手戻りを力技で何とかしてきたが,結果的に開発プロセスの終盤にしわ寄せが来ていた。このロスを解決できれば,新技術の開発などにリソースを振り向けることもできる」(同社空調生産本部副本部長滋賀製作所長執行役員の岡田慎也氏)と考えたのである。

 実は同社では1990年代に,それまで紙ベースで蓄積されていたさまざまな技術情報を電子データ化することに取り組んでいた。もちろん,検索することも可能だったが,「(電子データベースは)なかなか再利用されなかった」(門脇氏)という。

 単に情報を電子化するだけではダメだ─。どのように知識を蓄積すれば,技術者が再利用しやすくなり,事前検討の質の向上を実現できるのかを模索する中,2006年に知ったのが,不具合の発生メカニズムに関する情報を再利用しやすいようにモジュール化,一般化するSSM(Stress-Strength Model)理論だった(SSM理論については別掲記事参照)。

 SSM理論が第3ステップの手法として適用できるかどうかを探るため,2006年から約10人の技術者が空調技術に関する三つの分野で試行。そこでの結果が良好だったため,翌2007年からは本格的な適用を開始することになった。

 「ただ,SSMを適用する分野には向き不向きがある。例えば,擦り合わせが少ない回路設計などでは比較的うまくいくが,金型メーカーや成形メーカーなどの外注先も含まれる射出成形部品のノウハウに適用するのは難しい」(同氏)。こうした不向きな分野に関しても,SSM理論の適用が可能な部分はあるので,全体をカバーすることにこだわることなく,原因と結果が連鎖する知識の因果関係を原因側・結果側から少しずつ解きほぐし,整理を進めている。

 実際の設計業務の中では,蓄積した知識をFTA(Fault Tree Analysis)シートやFMEA(Failure Mode and Effects Analysis)シート,チェックリストとして自動作成し,DRなどで活用する(図2)*1。併せて,設計成果物などの開発情報を体系的に集約するシステムも導入し,ここから新たな知識を作成する体制とした。

図2●情報の集約と知識の再利用
設計成果物などの開発情報を集約し,そこから再利用可能な知識に変換して知識データベースを構築。そこからは,チェックリストやFTAシート,FMEAシートなどを自動作成する。
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