JR東日本グループのジェイアール東日本都市開発は2020年9月10日、有楽町駅と新橋駅の間の高架下に商業施設「日比谷OKUROJI(オクロジ)」を開業した。約300mに及ぶ連続する通路を整備し、日比谷側(西側)の道路に接続する5カ所の出入り口を設けた。回遊性がある商業街として再生した。
JR東日本グループとJR東海グループが協力し、有楽町側の「山下橋架道橋」から新橋側の「内幸橋架道橋」までの間を対象に、耐震補強工事を含む「内山下町橋高架下開発計画」を進めてきた。合計で約1万m2の空間のうち、JR東日本グループが担当する約7200m2(開発面積)のエリアに、物販や食物販の店舗が14店、飲食店が16店、計30店が開業した。
高架橋は西側から順に増設されてきた。まず、1910年(明治43年)に使用を開始した煉瓦(れんが)アーチの高架橋で、現在は山手線と京浜東北線の4線が走る。42年(昭和17年)に使用開始した鉄筋コンクリート造の東海道線高架橋(上下線)、そして64年(昭和39年)に使用開始した同・東海道新幹線高架橋(上下線)と続く。異なる年代の3種類の構造体が並走し、高架下空間に大きな特徴として現れている。
3種の構造体のうち、かつて「新永間市街線高架橋」(東新橋付近から大手町付近まで)と呼ばれた煉瓦アーチ部分は、日本初の鉄道高架橋だ。土木学会が2010年に選奨土木遺産に選んでいる。
都市改造史を遡れば、東京を近代化するために東京市区改正設計(1889年告示)で計画されたインフラの1つである。当時ドイツから招かれた鉄道技師のヘルマン・ルムシュッテルがベルリンの高架鉄道をモデルに煉瓦アーチの高架橋を提案し、後にその案が受け継がれた。
「100年前にできた煉瓦の高架橋を、この先100年に継承する。環境や照明のコンセプトとして、ありのままの美しさを見せるようにした。鉄骨造による建築部分はシンプルなものとし、かつ従来の高架下の建築よりも土木構造と一体化させるイメージでつくった」と、ジェイアール東日本都市開発開発事業本部開発調査部の福田美紀氏は語る。
高架橋の所有者は異なる。山手線・京浜東北線と東海道線はJR東日本の用地、東海道新幹線はJR東海の用地に建設されている。
各時代の拡張は、旧外堀(川)を埋め立てながら進めたものだ。東側にはさらに、元の外堀の上に立つ東京高速道路(KK線)および、その下部の商業ビル「銀座コリドー街」が並ぶ。こうした経緯から、JR東海の用地は南北の架道橋側でしか公道に接続しない空間になっていた。
今回、 両社グループが協力して開発エリアを最適化することに合意。用地区分の制約を外した開発が可能になった。連携しながら工事を進め、JR東海グループが分担し、東京ステーション開発が運営する北西側エリアでは7月9日に、「日比谷グルメゾン」の6店が先行開業している。
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